・許六んちは、リアル平家源氏時代からのお武家さんらしい。
よく分からんがすごいな!
許六も引退するまで人生のレールからはみ出さずに、公務員武士してたらしい。
えらいえらい。
・18才くらいから俳諧勉強しだした?
一番最初の師匠はなんと芭蕉さんも過去に師事してた季吟先生!
でも堀切さんに、俳諧やり始めた歳は話半分に聞くべきって言われとった。あらら…。
・父から家督継いで、俳諧にも本格的に手を出す始末。どゆこっちゃい。
・そのあと地元のベテランさんの、尚白(しょうはく)って人に習いに行ってる。2回だけ。
・江戸に出張中は、其角と嵐雪にビシバシしごいてもらったよ!
・そしてどうやら其角に興味津々のご様子。
・基本許六は独学我流で頑張っちゃう派。
なんか泥臭いですなあ。
]]>・芭蕉さんと桃隣は出身地が同じみたいです。
親戚だったか…は記憶があやふやなんですが、微妙だったはず。
それにしてもコネってすごい。
・許六が、「持参した自作の数句を恐る恐る差し出し、固唾を呑んで芭蕉の反応をうかがっていたところ、」
・「おもむろに口を開いた芭蕉は、それらの句を称賛し、(中略)自分の俳諧の魂をよくぞ探り当ててくれたとまで述べられたのである。」
そんな…そこまで言われたら、…たまんないっすよ!ってことで許六メロメロ。
無事入門を許されたそうなー。
・「たとえそうでも、2人の出会いは運命的よ…!」by堀切氏。
・「あるいは、カタギの許六への芭蕉さんの社交儀礼かもねー」って堀切さんが言ってた。
まじでー。
]]>
・参勤交代の団体さんで賑わう街道(大名街道)の休憩所(宇津谷峠)で、一句。
※十団子(とおだご)…宇津谷峠の名物のお団子。
・「折からのわびしい風も吹き始めて、人通りもさびれていく気配の中で、その十団子が、これまで幾度かここを通り過ぎてきた許六の眼に、心なしか小粒になったように感じられた」そうな。
あー、あれですか…穀物原価の高騰?
・わびしいね。
・ちなみに何でもないような上の句を、許六は2日間で20回以上も考え直した末に、ひねり出したそうな。
おお…お疲れ様です。
この経験が、許六にとって「発句の本質」=「取り合わせ」=「プリンにしょうゆ理論(違う)」なんじゃねーの?という考えに至るそうな。
後々の変な自信の素ですな。
]]>そんなこんなで「Ⅱ 武門の出 -二筋の道-」はじまりはじまりー。
武士出身の許六と丈草です。
公私混同大いに結構!
結構…?
・杉風はお仕事忙しくて大変だったらしい。
年のくれ破れ袴の幾くだり(猿蓑)
一年に袴何本もはきつぶすとかどんだけー。お疲れ様です。
・杉風が「もう仕事忙しすぎるから俳諧やめる\(^q^)/」って告知しなきゃいけないことも何度も会ったんだろうねえって堀切さんがいっとった。
忙殺ってこのことですよね!ヒイ!
・でも杉風ったら仕事でも成功して偉いのね!って堀切さんが褒めてたのでとてもうれしい。
杉風の長女さん(かめ)のお婿さん(元次郎)に渡した遺産の記録から見ても相当な財産が譲られたみたいで、やっぱり杉風ってばお金持なのね…ひい。
(ちなみにお婿さんの元次郎さんも随夢っていう俳号を持つ俳人さんで、杉山家の主人は三大そろって俳諧スキーなのですね。ひいいもえる!!って話を描きたかったんですがキリがなくなりそうだったので止めました)
・杉風にとって俳諧は人生のヒマつぶし的な趣味なわけだったけども、趣味の範疇を越えるようなハマりっぷりが見事ですよねっていう堀切さんのまとめになぜか才能をだだ漏らしている現代の日本人オタク…じゃなくて匠さんたちの姿が重なったんでした。
良いと思いますよ。生ぬるく見守りましょう。
・杉風の十哲内の評判
他人に厳しいっていうかけなしてばっかりいる許六が杉風にはとても甘口って許六どうしたの。
・下:だといいな妄想。
そんな感じで杉風の章はこれでおしまいです。(こんな終わりって)
]]>そんなさみしい名前にしないでよ杉風。
・杉風80歳の時には野坡に、「今年までの命かも」宣言。
そんなさみしいこと言わんでよ杉風。
ていうかわざわざ野坡に手紙でそんなこと言うとか構ってほしいの合図ですか。かわいい。
・たまたま遊びにきた俳人さんに「もう誰も私の所になんか遊びに来ないんですよ」と自虐。
ますます構ってほしいただのおじいちゃんじゃないですか。かわいい…かわいい…。
・結局杉風は86歳でお亡くなりになる。
つーことは野坡への「今年まで」宣言から6年も生きてたんかい。
・「平生病弱な身にしては」杉風86歳の「安らかな大往生」でしたとさ。
つーか杉風ってば十哲の中では一番早く生まれたのに、其角やら去来やらよりも長生きなのですね…。
びっくりもするし、自分より年下で亡くなった門人さんとかどんな気持ちで見送ったんかねえとか考えてると切なかったり。
・杉風の辞世句もとても杉風らしくて好きです。
痩顔に団扇をかざし絶えし息(杉風句集)
こんな風に死ねたらいいよね(何言ってんのいきなり)
・杉風が死んでからも杉風チルドレンが大活躍!
「杉風の門流を伝えた(中略)白兎園(はくとえん)系の門流はじつに明治期に入って十一世まで及んだのであった。」
明治?!11世?!へええ…。
つーか白兎園系ってかわいいな名前。トレードマーク白ウサギですか。
・其角とか嵐雪と仲たがいして一人ぼっちになってた割には、ちゃんと後世に門流を残せたんだねえ杉風。
えらいえらい。
(ズボンが白黒になっている…)
]]>・「昔(=芭蕉さんの死)」に捉われすぎて「今(の俳壇での立場)」に置いて行かれた杉風。ろろろ…。
・芭蕉さんがいなくなってからの江戸俳壇のリーダーのなんとなくな相関図。
なんとなくもくそもさっぱり分からない。
・杉風⇔其角間はお互いピリピリ。
・杉風⇔嵐雪間はお互いムカっ。
・二人とは付き合いたくないので、俳諧って趣味だよね!が合言葉の深川のみなさん(野坡、桃隣、曽良さんとか)とここぞとばかりに仲良くする杉風。
けどフラれる。
・芭蕉さんがいなくなってから、深川の皆さんがことごとく杉風のもとから去ってる気がする。
野坡→難波に引っ越し
桃隣→俳諧点者に転向(其角、嵐雪とつるむことにしたらしい。=杉風の嫌いな俳諧をビジネスにしちゃった人)
曽良さん→お仕事で出張→出張先で没
あああ。
・ホームのはずの江戸での活躍がなさ過ぎて、江戸では「あの人は今」状態の杉風。
・あとは「僅かに地方俳壇の野坡系俳書に名を残すのみ」らしい。
とかだったら切ないっていうかイラっとする。野坡お前…。
・ざっくりとした俳諧での杉風の軌跡。
芭蕉さんの弟子第一号 ↑ ⇒ただのパトロン ↓ ⇒違いの分かる男 ↑ ⇒誰だっけ? ↓
上げて落とす×2という堀切さんのドSさと理解。(違う)
七回忌(の記念に編んだ撰集の跋文(前書き))の杉風の言葉、「俤今も世にいます思いをなし…」。
杉風ちょっと危なくないか。大丈夫か。
・「事あるごとに師を偲んで芭蕉像を描き」。杉風は絵も上手らしいー。
芭蕉さんの肖像の中でも特にリアルらしい。才能の無駄使いじゃないのか。
あとちなみに杉風の描いた芭蕉さんの肖像画が大英博物館にも出品されたらしい。すげえ。
]]>・でも芭蕉さんの死に目にも、お葬式にも杉風は参加できなかったのでとてもしょんぼり。
・なので、きっと杉風は実感持てなかったんじゃないかなあと勝手に想像。
危ない人みたいになってる…。
・商品のお魚とかを全部売り払って、杉風なりの芭蕉さん追悼してみる。
太っ腹すぎるわ…。
・杉風なりの追悼その2.
お参りに行けないので自分の近くにお墓を建てる杉風クオリティ。
すごいなあ。
と、言う訳で「かるみ良いよね」ってのがモットーの深川派でつるむようになる。
②が、仲間だったはずの野坡たちを杉風がはみごにする。
(「別座敷」に野坡・利牛らを排除した、ってことらしい。
※利牛は野坡の同僚で、俳諧やらない?って野坡を誘った人)
なんてこったい。
③結果、ものの見事にばらばらになる江戸蕉門。
④で、杉風は其角・嵐雪を積極的に避けるようになったんだってさ!
杉風の心情としては、俳諧をビジネスにするような人とはお付き合いしません!ってことらしいんですが、昔は自分から絡みに行ってたのに変な感じですね。
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