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松尾芭蕉とその門人さんたちの漫画を描いてます。まずは「はじめに」からどうぞ~。
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その十三 【実録】「猿蓑」が出来るまで の裏というか、本文から下手に邪推をしてみたただの妄想の話。

わわわ訳分かんねえええと思う(自分でも)ので、追記に言い訳というかなんというか。




 *****
※補足

・前半のくだり
去来は芭蕉さん公認の関西代表(西国三三ヶ国の俳諧奉行)ってくらい実力を付けていったですが、宗匠になる訳でもないし、撰集を編む訳でもないので(た、多分出してないはず…)、芭蕉さんが業を煮やして、

芭蕉「去来、撰集を作るわよ!」

去来「何の撰集だって…?」

(いつぞや流れてたハルヒのゲームのCMより。細かすぎて伝わらないパロディさーせん)

と、去来に話を持ちかけたんではないかと。
で、同じ頃に頭角を出し始めてた凡兆と一緒にやらせてしまえ!ということで二人に任せたんじゃないかなー、と思った次第です。

・後半「勝手に期待されて、空振り」からのくだり
えとー、妄想が膨らんだのは良いんですが、うまくまとめられないままに描いたので、画面だけじゃ何がなんやらって感じになってしまいました。

つーか普通に妄想するベクトル間違えました。

という訳で以下説明。

向井さん一家は、去来が8才の時に、長崎から京都に引っ越すんですが、去来だけは16才の時に福岡の叔父さん(母方)の所に養子として居候してるみたいです。

その福岡の叔父さんには子供がいなかったので、叔父さんの養子になれば、去来は将来武家の家督を継いで、お侍さんになってたところなんですが、寛文9年に、叔父さんにミラクル的に子供が生まれたので、おじゃんになってしまったみたいです。

と、いうのを薄ぼんやりと覚えた状態で描いたら、「後継ぎになるために、家族と離れて居候してたのに、おじゃんかよ!」と去来は思ったんじゃないかなーと妄想してしまったんでした。

ですが、
今改めて本文読み直してみると、どうやら勘違いしたような気もしてきます。

と、言うのも、去来は武芸をかなり鍛えてたので、他のお武家さんから「うちで働かない?」とスカウトされたりもしてたんですが、どうやらそのお武家さんが色々内輪もめしてたようなので、「ないわー…」と思ったのか、断ったみたいです。
どうしても武士になりたかったって訳ではないみたいですね。

と、考えると叔父さんの養子の件も、「おじゃんかよ!」よりむしろ、「やったー!養子にならなくて済む!」とまでは行かないですが、「じゃあしょうがないか」とあっさり考えてたかもしれないなあ、と描いた後になって思います。

つまり読み間違えました。あるある。

で、その後は京都に戻って、お兄さんの家業の手伝いをしたり、妹と二人で旅行したりと、家族との時間を満喫してます。ずっと離れてたもんねーそら楽しいわ。

ちなみに去来は身内以外にお弟子さんを取らなかったそうな。身内好きなんやね。
つーか身内以外信用してないのか…?
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