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・杉風はおじいちゃんになってからは「衰杖(すいじょう)」という俳号に変更。
そんなさみしい名前にしないでよ杉風。
・杉風80歳の時には野坡に、「今年までの命かも」宣言。
そんなさみしいこと言わんでよ杉風。
ていうかわざわざ野坡に手紙でそんなこと言うとか構ってほしいの合図ですか。かわいい。
・たまたま遊びにきた俳人さんに「もう誰も私の所になんか遊びに来ないんですよ」と自虐。
ますます構ってほしいただのおじいちゃんじゃないですか。かわいい…かわいい…。
・結局杉風は86歳でお亡くなりになる。
つーことは野坡への「今年まで」宣言から6年も生きてたんかい。
・「平生病弱な身にしては」杉風86歳の「安らかな大往生」でしたとさ。
つーか杉風ってば十哲の中では一番早く生まれたのに、其角やら去来やらよりも長生きなのですね…。
びっくりもするし、自分より年下で亡くなった門人さんとかどんな気持ちで見送ったんかねえとか考えてると切なかったり。
・杉風の辞世句もとても杉風らしくて好きです。
痩顔に団扇をかざし絶えし息(杉風句集)
こんな風に死ねたらいいよね(何言ってんのいきなり)
・杉風が死んでからも杉風チルドレンが大活躍!
「杉風の門流を伝えた(中略)白兎園(はくとえん)系の門流はじつに明治期に入って十一世まで及んだのであった。」
明治?!11世?!へええ…。
つーか白兎園系ってかわいいな名前。トレードマーク白ウサギですか。
・其角とか嵐雪と仲たがいして一人ぼっちになってた割には、ちゃんと後世に門流を残せたんだねえ杉風。
えらいえらい。
(ズボンが白黒になっている…)
・「昔(=芭蕉さんの死)」に捉われすぎて「今(の俳壇での立場)」に置いて行かれた杉風。ろろろ…。
・芭蕉さんがいなくなってからの江戸俳壇のリーダーのなんとなくな相関図。
なんとなくもくそもさっぱり分からない。
・杉風⇔其角間はお互いピリピリ。
・杉風⇔嵐雪間はお互いムカっ。
・二人とは付き合いたくないので、俳諧って趣味だよね!が合言葉の深川のみなさん(野坡、桃隣、曽良さんとか)とここぞとばかりに仲良くする杉風。
けどフラれる。
・芭蕉さんがいなくなってから、深川の皆さんがことごとく杉風のもとから去ってる気がする。
野坡→難波に引っ越し
桃隣→俳諧点者に転向(其角、嵐雪とつるむことにしたらしい。=杉風の嫌いな俳諧をビジネスにしちゃった人)
曽良さん→お仕事で出張→出張先で没
あああ。
・ホームのはずの江戸での活躍がなさ過ぎて、江戸では「あの人は今」状態の杉風。
・あとは「僅かに地方俳壇の野坡系俳書に名を残すのみ」らしい。
とかだったら切ないっていうかイラっとする。野坡お前…。
・ざっくりとした俳諧での杉風の軌跡。
芭蕉さんの弟子第一号 ↑ ⇒ただのパトロン ↓ ⇒違いの分かる男 ↑ ⇒誰だっけ? ↓
上げて落とす×2という堀切さんのドSさと理解。(違う)
・芭蕉さんが死んだあとの杉風の後遺症が大きすぎて切ない。
七回忌(の記念に編んだ撰集の跋文(前書き))の杉風の言葉、「俤今も世にいます思いをなし…」。
杉風ちょっと危なくないか。大丈夫か。
・「事あるごとに師を偲んで芭蕉像を描き」。杉風は絵も上手らしいー。
芭蕉さんの肖像の中でも特にリアルらしい。才能の無駄使いじゃないのか。
あとちなみに杉風の描いた芭蕉さんの肖像画が大英博物館にも出品されたらしい。すげえ。
・芭蕉さんの杉風への遺言がとても泣ける。
・でも芭蕉さんの死に目にも、お葬式にも杉風は参加できなかったのでとてもしょんぼり。
・なので、きっと杉風は実感持てなかったんじゃないかなあと勝手に想像。
危ない人みたいになってる…。
・商品のお魚とかを全部売り払って、杉風なりの芭蕉さん追悼してみる。
太っ腹すぎるわ…。
・杉風なりの追悼その2.
お参りに行けないので自分の近くにお墓を建てる杉風クオリティ。
すごいなあ。
・江戸蕉門が仲たがいするようになってしまったらしい。
①嵐雪が杉風と曽良さんを冷遇しだした。
(嵐雪が編集した作品集に杉風と曽良さんの句が少なかったってことらしい)
と、言う訳で「かるみ良いよね」ってのがモットーの深川派でつるむようになる。
②が、仲間だったはずの野坡たちを杉風がはみごにする。
(「別座敷」に野坡・利牛らを排除した、ってことらしい。
※利牛は野坡の同僚で、俳諧やらない?って野坡を誘った人)
なんてこったい。
③結果、ものの見事にばらばらになる江戸蕉門。
④で、杉風は其角・嵐雪を積極的に避けるようになったんだってさ!
杉風の心情としては、俳諧をビジネスにするような人とはお付き合いしません!ってことらしいんですが、昔は自分から絡みに行ってたのに変な感じですね。