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元禄十一年六月下旬、許六との「俳諧問答」中に、久しぶりに地元・長崎を訪れた去来。
「長崎に入るの記」で、
故郷も今はかり寝や渡り鳥(渡鳥集)
別に帰って来た訳じゃないんですね…。京に戻る気満々だなあ。
ちなみに、これはこの時の話らしいです。支考はやっぱり支考なんだなあという。
で、野坡とも一緒に、3人で「旅寝を共にしている」らしい。何ですとー!けしからん。
で、学パロ変換したらこうなる。
修学旅行と言ったら長崎だよね!(そうかな)
長崎にいた兄弟家族とか俳人さんたちとここぞとばかりに遊ぶ去来。
結局引きとめられて1年以上ずるずるしてたらしい。あらまあ。
え?修学旅行はどうなったって?(聞いてないです)
追記に学パロ妄想マンガです~。楽しい…(味をしめたな)
去来と許六の論争の件について
芭蕉先生がいなくなってからの其角の進歩の無さに、去来が喝を入れたら何故か許六が割り込んできたようです。
許六は多分暴れたいだけ(迷惑な)
事の発端は去来が其角に果たし状ならぬ「晋子其角に送る書」を送ったことから。
相手が先輩でも言うことは言う去来。委員長だからね!
学パロ変換したらこうなりました。
「蕉門高校」は男子校なんだぜ。
長いので追記にしまいます。「続きを読む」からどうぞ。
いづぞや(その二五)のひとコマ。
去来は「さび」の境地に至りました。
支考のリアクションはTPOに合わせて大体適当。
元の句は、
応ゝといえど敲くや(たたくや)雪の門(かど)(句兄弟)
寒いんだよちくしょう早く入れろ!ってことですね。(身も蓋もない)
去来さあ、(芭蕉)先生がいなくなってからさあ、自負の割にはなんか安っぽくなっていってるよね。って堀切さんが言っとった!私じゃなくて堀切さんがね!(はいはい)
自分ではやってるつもりでも結果に出ないことってありますよねー。
でもだからってそうやって甘えちゃだめですよねー。
はあ…(どうした)
前置きなく学パロです。(またか)
芭蕉先生がいなくなった(没後)後、委員長の去来は芭蕉先生の言いつけを守ろうとしたんですが、体調不良とか何やらで、クラスをまとめることは出来なかったそうな。あらまあ。
クラスの大半は各自で勉強して、自分なりの答えを作って授業を全然聞かないし、去来はおうちに帰りたくなるしで、委員長不在の上方クラス、崩壊の危機の予感。
なんかその後の去来はぱっとしないって本文に書いてあったです。あらまあ。
委員長良いことないじゃーん。
学パロ楽しいもうちょっと続けよう。(おいおい)
芭蕉さんが亡くなった約一ヶ月後の元禄七年十一月十三日、去来は楽柿舎に其角、嵐雪、桃隣たちを迎えて、「鉢叩き」の音を聞きながら芭蕉さんを偲んだそうな。
「鉢叩き」についてはこちら。
オチで全てぶち壊しっていう…よくやる。