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・「其角や嵐雪らと積極的に交流する」杉風。きゅん。
それにしても其角が嫌そう。
・が、その後、大火事と「生類憐みの令」でおうちが大ダメージを食らったそうな。
※杉風んちは鯉を扱うお魚屋さんです。
・そんな訳でしばらく(俳諧で)みんなと遊べなくなった杉風。
・でも「蛙合」には参加してる。
説明になってない「蛙合」。
いつかちゃんと調べよう。うん。
・し、其角の出した「虚栗」の続編にもちゃっかり句を出してる杉風。
おうちやばいんじゃなかったんだ?
まさかね。
・し、ちゃっかり俳句の修行もしててスキルアップしてる。
余裕ですなあ。
白のスパークリングなら、なんとか…。(カクテルじゃねえか)
・『常盤屋の句合』はずっと芭蕉さんと杉風のターン。
『常盤屋の句合』…杉風の句に芭蕉さんが判詞(はんじ/批評・コメントみたいな感じ)を付けた作品。
芭蕉さんの描いた前書きが杉風ベタ褒めです。
この二人がコンビ組んだら多分「相方好き芸人」になると思う。
・画期的な作品『虚栗』も、杉風の全面的バックアップで生まれましたよ!
其角の編集した作品だけど、杉風の句もいっぱい載ってるみたい。
ていうか其角がすごく面倒くさそう。
・「虚栗」の中の杉風の句
僕(=下僕)が雪夜(せつや)犬を枕のはし寝かな
がパトラッシュ変換になってしまった。
曽良さんは犬じゃなかった。
・「虚栗」のテンションについて行けない杉風。
「ノリは一緒だけどそこまでじゃないよね」って堀切さんに言われてた。
小題が「杉風の俳風」なんですが、それとはあんまり関係のないあれこれ。
・芭蕉さん、杉山家と一座したこともあるらしい。
(芭蕉さんと杉山家で歌仙を巻いたってことかしら)
「一家」って、本当に一家全員ではないと思うんですが、少なくとも父子とは一緒だったよね…?!と思うと胸がときめきます。
(気持ち悪いな)
・芭蕉さんがいったん地元に帰るとき送った、杉風の餞別の句がすごく応援歌。
それに応えた芭蕉さんの句が言いすぎじゃね?ってくらい謙遜してて、とてもらしいなあ。
・芭蕉さん軍団旗揚げの作品のトップバッターが杉風だそうで。よかったね!
ずこー。
杉風ってトップバッターとかアンカーとか向いてなさそうだなあ。きゅん。
・杉風とそのお父上の話。
杉風にとって父親の存在は大きかったらしい。パパっ子なのね!
・杉風のお父上こと杉山賢永(げんえい)さんは勝ち組みなのですね。
・お父上も俳諧スキーだったそうな。
俳号は仙風(せんぷう)。
(仙風さんだけ入力して一発変換出来るのは何でなんだろう…杉風は出来ないのに)
俳諧は当時のセレブのたしなみだったそうです。うへえ。
(何か下の方にうにゃうにゃ英文書いてあるけど絶対間違ってる自信がある。(じゃあ書かなきゃいいのに))
・「杉風にとって、この父の存在は大きく、商売上のことはもちろん、俳諧に遊ぶようになったのも父の影響であった」という本文にキュン。
杉風の章の本文がグッジョブすぎてなんだか嬉しい。
この親子はもう…!(どうしたのよ)
・芭蕉さんが江戸に来た時、最初に上がったのが杉風んちだったとか。
(※芭蕉さんが江戸に来てからお世話になったのは、杉風んちか、卜尺(ぼくしゃく)さんちかのどっちかだ!みたいなことを「俳諧人名事典」で読んだんですが、どうやら一番最初に行ったのが杉風んちで、その後は卜尺さんちにおせわになってたみたいです。卜尺さんについてはまたいつかの機会に。)
・芭蕉さんに出会う前は、親子で仲良く談林系の撰集に入ってたそうな。
だからもうこの親子は…!(落ち着けよ)
・杉風の情報あれこれ。
下の文字かすれて見えないですね…。
右)食用の鯉を卸しているそうです。
右下)鯉料理はごちそうです。
詳しい事は全く分からないんですが、杉風んちの魚問屋「鯉屋」は、当時の魚河岸の中でも特別な存在で、とても羽振りが良かったそうです。
参考 ※魚河岸野郎(別窓)
市兵衛は杉山家が代々引きついだ名前だそうな。かっこいいなあ。
採荼庵(さいだあん)は別荘の名前で、隠棲後は一元という名前を使ったそうな。
(どうでもいいんですが蓑杖(さじょう)ってあんた遠出とかしたこと無いでしょ!って突っ込みたくなります。いや、何でもないですスルーして下さい)