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みんなで去来のイメージについて話し合っているようだ。
(あ?俳風?去来のイメージじゃないのか…(←読み違え)あるある)
まあいいや俳風でも何でも(いい加減だなあ)
支考がニヤリってしたら何かのフラグ。
という訳で「続きを読む」に芭蕉さんの俳号を曲解してみたマンガ。
最晩年の去来その二。
実は(もくそもないけど)「おくのほそ道」って芭蕉さんが死んで結構経ってから出版されたらしいよ!
というのも、 その二六 で去来が譲り受けてからずっと放置寝かせてたかららしい。
さすが芭蕉さんも認めただけの事はある「ものぐさきおのこ」ですね。あるある。
あとは長崎にいたときの作品とかまとめるついでに、卯七のプロデューサーになってあげたり、去来流の俳論のテキスト書いたり、人生の総まとめしてたみたいです。
まるでそれ死亡フラグ…と思ってたら去来終了のお知らせ。…案の定か!
芭蕉さんと同じくお腹を壊して(痢病って書いとった。つまり下痢じゃろ?)亡くなったそうな。
あとちなみにお墓が現存してない。
お墓残ってないとか、えっちょ…それよく考えたら悲惨じゃね?!と思ったのでポジティブに取ってみました。
きっと去来、あの世が楽しすぎて戻る気なかったんでしょう。うんうん。
けして人徳がアレすぎて死後お墓に構ってくれる人がいなかったとか…後世に去来誰それ?そんな人いたっけ?とか思われてた訳じゃない…はず。…はず!
最晩年の去来。
思うに俳人さんって晩年が大概さみしいんですが…。
目が死んでいる…。
元禄十二年春に、まだずるずる長崎にいる去来のもとに、許六の作品集(扁突/へんつき)が届いたらしい。
ケンカ(?)してても(してるから?)作品はチェックするんだなあ。
出版元から届いたって書いてあるけど許六が送ったってことで良いんだろうか。
去来が送るように頼んだんだろうか…。
弟の魯町、いとこの卯七と一緒に中身についていろいろ話したそうな。
で、3人で話したことをもとに「旅寝論」を書いたそうな。
許六も読んでるといいですね。
元禄十一年六月下旬、許六との「俳諧問答」中に、久しぶりに地元・長崎を訪れた去来。
「長崎に入るの記」で、
故郷も今はかり寝や渡り鳥(渡鳥集)
別に帰って来た訳じゃないんですね…。京に戻る気満々だなあ。
ちなみに、これはこの時の話らしいです。支考はやっぱり支考なんだなあという。
で、野坡とも一緒に、3人で「旅寝を共にしている」らしい。何ですとー!けしからん。
で、学パロ変換したらこうなる。
修学旅行と言ったら長崎だよね!(そうかな)
長崎にいた兄弟家族とか俳人さんたちとここぞとばかりに遊ぶ去来。
結局引きとめられて1年以上ずるずるしてたらしい。あらまあ。
え?修学旅行はどうなったって?(聞いてないです)
追記に学パロ妄想マンガです~。楽しい…(味をしめたな)