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去来と許六の論争の件について
芭蕉先生がいなくなってからの其角の進歩の無さに、去来が喝を入れたら何故か許六が割り込んできたようです。
許六は多分暴れたいだけ(迷惑な)
事の発端は去来が其角に果たし状ならぬ「晋子其角に送る書」を送ったことから。
相手が先輩でも言うことは言う去来。委員長だからね!
学パロ変換したらこうなりました。
「蕉門高校」は男子校なんだぜ。
長いので追記にしまいます。「続きを読む」からどうぞ。
いづぞや(その二五)のひとコマ。
去来は「さび」の境地に至りました。
支考のリアクションはTPOに合わせて大体適当。
元の句は、
応ゝといえど敲くや(たたくや)雪の門(かど)(句兄弟)
寒いんだよちくしょう早く入れろ!ってことですね。(身も蓋もない)
去来さあ、(芭蕉)先生がいなくなってからさあ、自負の割にはなんか安っぽくなっていってるよね。って堀切さんが言っとった!私じゃなくて堀切さんがね!(はいはい)
自分ではやってるつもりでも結果に出ないことってありますよねー。
でもだからってそうやって甘えちゃだめですよねー。
はあ…(どうした)
前置きなく学パロです。(またか)
芭蕉先生がいなくなった(没後)後、委員長の去来は芭蕉先生の言いつけを守ろうとしたんですが、体調不良とか何やらで、クラスをまとめることは出来なかったそうな。あらまあ。
クラスの大半は各自で勉強して、自分なりの答えを作って授業を全然聞かないし、去来はおうちに帰りたくなるしで、委員長不在の上方クラス、崩壊の危機の予感。
なんかその後の去来はぱっとしないって本文に書いてあったです。あらまあ。
委員長良いことないじゃーん。
学パロ楽しいもうちょっと続けよう。(おいおい)
芭蕉さんが亡くなった約一ヶ月後の元禄七年十一月十三日、去来は楽柿舎に其角、嵐雪、桃隣たちを迎えて、「鉢叩き」の音を聞きながら芭蕉さんを偲んだそうな。
「鉢叩き」についてはこちら。
オチで全てぶち壊しっていう…よくやる。
元禄七年十月六日に去来は、「芭蕉さん、今夜がヤマです。」的な知らせを受け取る。
夏にはあんなに元気だったのにね。
「さながら親に仕えるように看病につとめている。」という本文を読んで、つい…ね。
この時去来はどさくさにまぎれて(?)芭蕉さんに頼みこみ、「おくのほそ道」の完成品を譲る約束をしてもらえたそうな。
あ、けして印税目的じゃないですよ!(当たり前です)