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去来は一生独身だったけど、恋人はいたみたいです。
彼女さんの名前は可奈女さんで、元・遊女。
彼女さんには甘えてそうだなあ~、去来。
元禄二年師走二十四日、と言えばクリスマスイブ、と言えば恋人たちの日!
(時代いつだっけこれ)
そんな折に芭蕉さんはあえて空気を読まない。
師走二十四日に芭蕉さんは、鉢叩きっていうのを聞きに、去来のとこに泊まりに来たんですが、いつまでたっても来ないので去来が、「かくなる上は私が!」って言って灰皿を叩いて鉢叩きの物真似をしてあげたそうな。
『箒こせまねてもみせん鉢叩き (いつを昔)』
やっとこさ鉢叩きの声が聞こえてきて、芭蕉さんが感想吟を読んだりしてたら、結局明け方近くになってたそうな。
お疲れ様です、去来。
去来「鉢叩きよりジングルベルを…」
芭蕉「リア充ざまあwww」
※補足
鉢叩き…「空也僧が鉦を鳴らしたり、竹の枝で瓢箪を叩きながら、口に和讃や念仏を唱えながら勧進して回る京の冬の風物詩」らしいです。
どうやら徒歩だからトナカイはいないみたい。
タバコに関してはまったくもって同感です…。
まあ個人の自由なんですけどね。
そんな訳で、タバコが嫌いなはずの去来が、ある日きせるを掃除してるのを芭蕉さんが見かけた話。
(『元禄七年閏年五月二三日支考宛芭蕉書簡』より)
正直そんなこと手紙に書かれても返事に困る…。
芭蕉「この味がいいねと君が言ったから五月二三日はきせる記念日」
去来「それなんて俵万智っつーかゴロ悪!」
そんな二人を堀切(著者)さんが「師弟の間のウィットの交換も折々あったよう」だねと温かく見守り、さらにそれを私が生ぬるく見守る図。
去来の別荘、「落柿舎」を他の人が利用するにあたっての注意事項を作るまでは優等生だけど、中身が身内ネタっていう、ふざけてるのか真面目なのかよく分からない去来。
芭蕉さんが落柿舎で書いた「嵯峨日記」に、「昔は杜国(弟子の一人・男)と同じ布団で寝たよ」という記述があったので、拡大解釈してしまいました。
芭蕉さんッタラー。
ちなみに丈草がノーパンな理由。
ある日丈草んちに遊びにきた惟然に、丈草が「穿くのめんどいから」という理由で、ふんどしをあげたことがあったらしいので、それ以来きっとずっと穿いてないんだろうなと、これもまた拡大解釈してしまいました。
あっ、ていうか1コマ塗り忘れてる。遺憾。
支考はやっぱり支考なんだなあと感心した話。
支考が長崎に来た時、遊女さん達が縁日の山寺に月詣で(月見?)するのを見て、禿(かむろ/見習い遊女)の将来を思いやった末に、『禿ノ賦』という文章に著したそうな。
二コマ目の支考のセリフ
「あーゆーコって将来遊女になって身も心もボロボロになって追い出された所で世間を知らないから悪い人間にダマされたりするんだろーなーやるせねーなーまあでも何も出来ませんがね」
その文章を去来に見せたところ、去来も便乗して『後ノ賦』を書いたそうな。
で、それが支考の『梟日記』に載っている。へえ。
それにしても支考って、やっぱり支考だなあ。しみじみ。
どうやら去来は、兄のスネをかじっていたみたいです。
(個人的には背中にへばりついていたイメージです。子泣き爺去来。)
これ の影響で、一人の場所が欲しくなった去来。
兄に頼んでみる。
実家とマイホームはあるけど、別荘も欲しかったみたい。
セレブだなあ。
手に入れた別荘は、千坪の屋敷に柿の木がたくさんあったみたいで、近くの商人が「おいしそうだから売ってよ!」って言って来たので木ごと売ってみた。
と、思ったら契約した日の夜に天候が激変して、実が全滅してしまったらしい。
あらまあ…。
金儲けできない運命なんかしら、去来って。
という訳で、引き続き兄のスネをかじる去来。
いい迷惑だね、お兄ちゃん。