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元禄七年春、ニューリリースされた芭蕉さんの新しい作品の作風をめぐって、楽柿舎シーンはにわかに盛り上がりを見せたそうな。
(こう書くと音楽関係の話題みたい)
楽柿舎では「かるみ」談議に花が咲いたよ、という主旨の本文を読んでいたら、出たばかりのマンガ雑誌を回し読みする男子学生のイメージでつい、こんなことに。
制服楽しい…(なんてこった)
※補足
「別座鋪(べつざしき)」…芭蕉さんが参加した撰集(杉風とか曽良さんとかもいたはず)
「炭俵」…野坡とかが参加した撰集
「かるみ」…芭蕉さん発案の新しい作風
「ヤマなしオチなしイミなし」…「かるみ」のコンセプト(まさか)
去来はV.I.P特典(?)で撰集が出る前から、芭蕉さんの最新のヴァージョンを知ってたようなので、しんどそうな芭蕉先生の代わりに、お知り合いの俳人さんたちに通信指導してたそうな。
欠勤の担任に代わって授業始めちゃう委員長みたい…ということで去来は委員長ね!(何の話だ)
楽しいじゃないか学園パロディ。
追記に学パロ設定の落書き。
去来 その 二三の続きというかなんというか。
今日も芭蕉さんの周りはすこぶる賑やかです。
元ネタ。
「此の方、京・大阪の貧乏弟子共かけあつまり、日々宿を喰いつぶし、大笑ひ致しくらし申し候ふ」(6月三日付松村猪兵衛宛芭蕉書簡より)
楽しそう…。
細かすぎて伝わらない1コマパロディ。
元ネタ分かるよ!って方はご一報ください。飛び跳ねます(嬉しくて)
良い年した男女が混浴してるのは、ただ単に去来の兄妹を出したかっただけだからです。
去来の別荘、楽柿舎は結構傷みがひどかったそうですが、その後更にボロくなったので、元禄6年秋に建て替えたそうな。
やったね去来!
新築の楽柿舎に早速(でもないけど)、芭蕉さんが遊びにきた。
芭蕉さんが楽柿舎にいたのは5/22~6/15で、
「その間、去来はもとより、京の貧居にくすぶっていた惟然、近江から芭蕉に同行して来た丈草、伊勢より上京中だった支考、また去来と親交のあった地元嵯峨の農人為有や浪人野明(中略)らが、入れ替わり立ち替わり来訪しており、芭蕉の身辺はすこぶるにぎやかだった。(本文より)」
それは結構なんですが、メンツがすこぶる…こう、渋いよね!(これが精いっぱい)
※どうでもいいんですが、本文の「貧居にくすぶっていた惟然」に思わず笑いました。くすぶっていたて!
惟然だとリアルに想像できていやだなあ。
あと、「伊勢より上京中だった支考」は絶対芭蕉さんに合わせて上京してきたよなあ…と妄想してやみません。
合わせたくせして、「別に、たまたま通りがかっただけですから…たまたまですから!」とか言ってたら良いなあとか延々考えてしまいます。
あ、はい、楽しいです。これでも。
元禄三年暮の歌仙で、去来の付合いが上手いこと行ってたので、「他門の俳人好春から『芭蕉門の徒、修練格別也』(『去来抄』)と絶賛され」たそうです。
良かったね。
去来、やればできる子!
俳諧甲子園とか、楽しそう…(そうか?)
去来の句に許六も脱帽した話。(其角もね!)
去来の、
湖の水まさりたり五月雨(阿羅野)
という句を見て、許六感激!したらしいです。
(予が心、夜の明けたる心地して、初めて俳諧の心ンを得たり『俳諧問答』)
え、こういう(上図)ことでしょ?違うか。